2017/03/15
皆さんは紀元前150年頃というとどのくらい昔か想像できるでしょうか。
日本はその頃弥生時代ぐらいですから、ものすごく大昔だということが分かります。しかしそんな古代には今の私達が思っているよりすごいものが開発されていた可能性があるのです。
今回はそんな古代の超文明ミステリーの代表格、アンティキティラ島のオーパーツ及びロドス島伝説についてまとめました。
sponsored link
アンティキラ島とロドス島
アンテキィラ島はギリシャのペロポネス半島とクレタ島の間にある島です。
一方ロドス島はエーゲ海南部のアナトリア半島沿岸にある島です。この近海の島国は古くから多くの国から侵略を受けたり、海賊の住んでいた遺跡の跡があったりと、たくさんの歴史の痕跡が見られる地域なのです。
アンティキラ島の機械とは
アンティキラの機械は今から100年ほど前、アンティキラ島近海の沈没船から見つかった遺物です。
見た目と構造から古代の天文時計のようなものだったと推測されました。この古代時計は紀元前150年頃にロドス島のアカデミア(古代の学問所)で哲学者もしくは数学者などによって考案されたと言われています。
しかしその精度や技術はとても紀元前のものとは思えないものなんです。
この機械には30個以上(72個という説もある)の歯車が使われており、表面にある外側の円にはエジプト式のカレンダーやソティス暦、内側の円にはギリシャの黄道12星座が描かれていて、太陽や月、その他の天体の位置をとても正確に計算することができたということです。
その他にもうるう年、日食、月食の予測、自動的に船の運航航路なども出すことができたと言われています。さらにパラペグマと呼ばれた古いギリシャの暦も刻まれておりギリシャの暦とも照らし合わせることができるようになっていたようです。
これらの暦や星座記号を元に現在の時計の針のような部品が動き、特定の星の出現を告げたり、特定の時期を教えたりしたということです。
何に使われていたのかと言えば諸説あるようですが、機会の一部にolimpia(オリンピック)の文字が見つかっていることから大会の開催日等を知るためだったのではとも言われます。
ロドス島の巨人
アンティキラの機械が作られたと言われるロドス島では、青銅の巨人の伝説もあります。
伝説では紀元前284年頃に12年もの歳月をかけて完成したものであると言われ、作るきっかけとなったのは戦争の勝利を感謝の証として太陽神ヘリオースに示すためであったと言われています。
この青銅の巨人は大理石の台座が15メートル、彫像は34メートルで、全ての高さを合わせると50メートルほどもある巨大なものだったとも言われています。
作りは鉄の骨組を頑丈な青銅の外観が覆っていたということです。敵国から攻められた際は敵の頭上に油を注いで戦ったという話もあります。
この像は紀元前226年頃に起きたロドス島に地震により倒壊したと言われています。
時の王は再建しようとしましたが、きっと神の怒りに触れたに違いないとする住民の反対により結局はもう一度造ることはできなかったそうです。
その後なんと800年もの間像はそのまま放置されていたと伝えられています。
のちにロドス島はムアウィヤ軍(イスラム)に支配され、なんと彫像はスクラップにされて壊されてしまったそうです。彼らは宗教上偶像崇拝を嫌っていたからです。
今では伝説に残るのみでその姿を知る人はいません。現在でもこの巨大彫像を再現しようというプロジェクトが計画されているそうですが、うまくいかないようです。
(まとめ)
いかがでしたか?
ロドス島は謎の文明の一つですが、旧約聖書などにも同じような鉄の巨人の話が存在していたりします。
天文時計もそうですが古代の人々の技術は私達の想像をはるかに超えていたのかもしれませんね。