2017/03/15
弥助といえば織田信長に仕えた黒人の武将として有名です。しかしこの弥助以外にも戦国時代には外国人のいろいろな記録が残っています。今回はそんな思ったよりももっと国際的な戦国時代についての記事です。
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弥助以外にも戦に参加した外国人がいた?
この外国人の記録は宣教師であるルイス・フロイスによって残されています。
その出来事は九州の大名である竜造寺家と島津家の戦い(沖田畷の戦い)の様子を描いた時のものです。
記録によれば島津家の大名である有馬信治(島津家久)側には半筒と呼ばれる当時の鉄砲のような武器がありましたが、それを使いこなせる者がいなかったそうです。そこにアフリカ黒人とマラバル人(インド人とされる)がやって来て見事にそれを使いこなし、有馬側を勝利に導いたとされています。この外国人はかつて信長に仕えた弥助であるとされる説もありますが、宣教師に連れられた別の外国人が存在した可能性もあります。彼らはここに残された記述以上に多くの日本の戦国時代の戦いに参加し、多大な影響を及ぼしたのかもしれません。
戦国時代の勝敗はキリスト教宣教師が握っていた?
沖田畷の戦いはルイス・フロイスによって残されたとされていますが、戦国時代の戦の勝敗には思った以上に外国人の影響が関わっているようです。
上記の戦いにおいて勝利した島津側の武将、有馬晴信はかなり外国の文化を取り入れることや交易に力を注いでいた人物のようでフランシスコザビエルに布教を許可したり(のちに反対派に)ポルトガルから銃や洋馬を輸入したりしていたようです。他にも実戦で鉄砲を始めて使用した人物とも言われています。フロイスの記録に残っている銃も外国から輸入した最新式の物であったようで長く大型でかなり遠くからでも敵を狙うことができる武器であったとされています。一方、敵側の大将である竜造寺隆信はキリスト教の布教反対派でした。当然、宣教師達はキリスト教布教に寛容であった島津側に力添えをしたのではないでしょうか。当時ではまだ誰も知らない強力な銃やそれを使いこなせる人物も有馬側に提供したのかもしれません。戦国時代の合戦の行方は外国人が握っていたというケースは多々あるのではないでしょうか。
ユダヤ人と織田信長
よく歴史ミステリーで題材にされるのが織田信長の屏風絵です。この絵には白装束に六芒星のマークが描かれた服を着た人物が描かれています。この六芒星はユダヤ教のシンボルであるとされ、大昔に日本にやって来たユダヤ人の名残であるとか(忌部氏)織田家がユダヤ人の血を引く家系であるなどの説もあるそうです。実際フランシスコザビエルなどの多くの宣教師は実は改宗したユダヤ人であったとされ、現在知られているよりも実は多くのユダヤ人が戦国時代には存在していたようです。
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(まとめ)
いかがでしたか?戦国時代というと日本の屈強な武将達がしのぎを削るというイメージを持ちますが、実際はもっと国際色にとんだ時代だった可能性もあります。日本と外国人の関わりについて調べるともっと違った視点で歴史が楽しめるようになるかもしれません。
参考URL
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/okitaFro.html