2017/03/15
海外映画などで不気味な怪僧として登場するのがラスプーチンさんです。
彼は実際にロシアに実在した人物でもあります。
今回はそんな怪僧と呼ばれるラスプーチンさんについてまとめました。
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ラスプーチンとその数奇な人生
ラスプーチンは1869年の1月9日にシベリアの寒村で生を受けました。
幼い頃から透視能力のような力があったとも言われていますが定かではありません。彼は野良仕事中に突然、聖母マリアからの啓示を受け巡礼の旅に出発します。
その後、各地の修道院などでその力が評判となり(彼には病気を治すなどの不思議なパワーがあったとされる)ついにはロシア皇帝(当時のロマノフ王朝)にまで呼ばれます。
皇帝がなぜラスプーチンを必要としたかというと、王の息子は当時では治療不可能な血友病を患っていたからです。ラスプーチンはその後、見事に王子の病気を治してしまったそうです。
- ラスプーチンさんの生まれは?
ロシアのシベリアの寒村
- ラスプーチンさんは若いときは?
透視能力があった
- ラスプーチンさんはどのように有名になったのか?
皇帝の病を治した
ラスプーチンさんの生まれってロシアなのですね。
案外知らない人も多いのではないでしょうか?
また、病を治したというのはすごい力があったのでしょうか。
ラスプーチンの影響力が大きくなる
このような奇跡を起こしたことでラスプーチンの王室での力は大きくなっていきました。
といっても彼が権力を握ろうとしたりしたというよりも、ラスプーチンを邪魔に思った他の王室の人間達が悪い噂をたてたのです。
ラスプーチンが女性達からとりわけ支持されていたことから、彼が邪悪な力を使って王家を操っている、卑猥な行為を彼がしているなど実際にあるかどうかもはっきりしない噂を流したのです。
王室での影響力が大きくなる
↓ ↓ ↓
女性の支持者が増える
↓ ↓ ↓
批判的な人が現れる
影響力を持つとそれに批判的な人が出てきたのですね。
いつの時代も力を持つとその力をよく思わない勢力が現れるのですね。
ラスプーチンの予言
彼は暗殺される前に予言めいた言葉を残しています。
彼は「1917年の1月に私は死ぬでしょう。私を殺す者が農民であれば王国は安泰ですが、王家なら王族や一族は滅び、血が流れるでしょう」と言ったそうです。
不死身のラスプーチン
そしてその後の彼は実際に暗殺されてしまいます。
暗殺者は彼の飲み物に青酸カリを入れましたがまったく効果がなく、その後、銃で何度も撃ち、暴行を加え、2階から投げ落としましたが、それでも生きていたので、すまきにして凍てつく川に投げ込んだそうです。
このような彼の超人的な生命力から「怪僧」の名がついたのです。そしてロマノフ王朝は彼の予言通りこの2カ月後滅亡し、一族も全員殺されてしまったのです。
ラスプーチンの人柄
ロシアでは今でも彼の評判は悪く、同じ名前をつけることをしないなど嫌われています。
しかし、実際の彼は魅力的な人物で穏やかな人物だったようで、ロマノフ王朝に皇女アナスタシアが他の人物から侮辱された際も「アナスタシア、私達のいたるところに聖霊と神はいます。悪魔の脅しに負けてはいけません。恐怖に打ち勝って生きるのです。」という内容の励ましの手紙を残しています。
皇女達も親しみを込めて彼を「ノーヴィー」と呼んだそうです。
怪僧と言われるのは何故か?
どんなことをしても生きていた
人柄は?
穏やかな人物であった
ロシアの炭鉱で恐竜の目撃?蚊の吸った血液からDNAが採取できる話
(まとめ)
いかがでしたか?
まるで怪物僧のように描かれることの多いラスプーチンさんですが、実際に彼は敬虔な宗教者であり、むしろ彼を殺した人達の方がよほど恐ろしく思えます。
歴史の真実は誰にも分かりませんが、もし彼が悪意なく暗殺されたのだとすれば、彼の汚名が晴れることを願うばかりです。