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X JAPAN ~世界が共感する奇跡の物語~SONGSを観たYOSHIKIとTOSHIの固い絆と熱い友情のあらすじと感想

time 2016/01/26

X JAPAN ~世界が共感する奇跡の物語~SONGSを観たYOSHIKIとTOSHIの固い絆と熱い友情のあらすじと感想

X JAPANはこれまで色々な困難を乗り越える内容が番組で放送されました。

 

メンバーの固い絆はどのようにして作られたのでしょうか?

 

Xの解散とYOSHIKIとTOSHIの2人の再開と再結成などがありました。

 

これまでの道のりには、どのようなドラマがあったのでしょうか?

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X JAPANの固い絆

 

 

今、世界中が彼らの音楽に熱狂しているのです。   2009年からのワールドツアーで19か国、28公演の世界ツアーが行われました。アジアや、南米、ヨーロッパでも   熱い歓迎を受けたのです。昨年12月のNY公演では15000人を動員し、会場は観客で埋め尽くされたのです。  

しかし、それまでの歩みは、悲劇の連続でした。メンバーとの別れなど・・。 YOSHIKIさんは語るのでした。   「本当にどん底に落ちましたよね」   「すべてが崩れてしまった」  

何故X JAPANは悲しみから脱して前進することができたのでしょうか?   何故彼らの曲は世界中のファンの心を打つのでしょうか?   そこには、リーダーのYOSHIKIさんとボーカルのTOSHIさんの幼馴染の2人の友情と固い絆があったのです。  

 

X JAPANはどのようにして誕生したか

 

今回、YOSHIKIさんがすべてを語る独占インタビューが行われたのです。   1982年にYOSHIKIさんとTOSHIさんを中心にバンドが結成されたX JAPANでありましたが、   当時のバンド名はXでした。   YOSHIKIさんとTOSHIさんは、共に千葉県出身で、幼馴染でした。  

二人が出会ったのは4歳の時でした。   体が弱く、ピアノばかり弾いていたというYOSHIKIさんと野球が大好きで活発だったTOSHIさん、   そんな二人の共通の趣味がハードロックであったのです。11歳でバンドを組んだという2人。

「2人のバンドで世界征服しよう」と言って、高校卒業後に揃って上京したのでした。   自分たちにしかできないライブを見せたいと、結成当初から、過激なパフォーマンスやヴィジュアルに   とことんこだわってきたのです。  

しかし、全てが斬新すぎたXには、厳しい批判の声が出るのでした。   YOSHIKIさんは当時を語ります。「評論家の方たちを含めとても厳しい意見をもらった」   「ありえないと、ハードロックにしてはパンクの要素も入っていて、   ハードロックであればメイクはしてはいけないとか、何故髪の毛が立っているんだとか」と言われたのです。  

 

メジャーデビューで紅の曲がヒットする

 

しかし、どんな批判を受けても、自分たちの姿勢を変えないXであったのですが、逆風をはねのけるきっかけとなったのが、   メジャーデビューで最初のシングルとなった紅の曲を出した時でした。  

ハードロックの力強さと、YOSHIKIのルーツのクラシック音楽の切なさと   二つを併せ持った独自のサウンドが大ヒットしたのです。   紅の曲が大ヒットしたのがうれしく、自信につながったというYOSHIKIさん。  

「生きていてよかった」「今までやってきたことが正しかったんだ、と思えた瞬間でした」と語りました。  

 

紅白歌合戦に初めて出場

 

デビューから3年後には紅白歌合戦に出場することになります。紅と言う曲は、Xの代表作になったのです。   メジャーデビュー後、2作連続でミリオンヒットし、Xの人気は社会現象になるのでした。  

 

XからX JAPANへバンド名を変える

 

そして、1992年に拠点をロサンゼルスに移すことになります。そして、このときにバンド名を   Xから、X JAPANへ変更するのでした。   しかし、全米デビューの話はなかなか前に進まなかったのでした。  

ヴォーカルのTOSHIさんの歌う英語の発音の問題が壁になったのです。   YOSHIKIさんは、渡米の後3年後に海外進出を断念することになるのでした。   目標を失ったメンバーは、バンドへの気持ちにも温度差が生じ、ソロ活動に力を入れだすことになるのです。  

YOSHIKIさんは当時を語ります。「当時は土壌が無い中で、アメリカへ向かおうとしていた時だったので、全員が疲れ果てていたというんはあったと思うんです」   「自分もメンバーの意識に気付くことができなかったため、自分を責めたこともありました。   リーダーとしてやってきたけど、引っ張りきれなかったのかもしれないです」と。

 

TOSHIの脱退と解散

 

その後、15年間共に歩んできたTOSHIがX JAPANとは違う音楽をしたいと、脱退することになるのでした。背景には、自己啓発セミナーへの傾倒があったのです。   YOSHIKIさんは語ります。  

「あんなうまいヴォーカルが常に身近にいたので、すごい才能だってことは分かっていたのと思うんですが、   ある種家族のようで、そう思っていたTOSHIが離れるって言った時は、俺の人生って何だったんだろうな、   自分の中で、一つの時代が終わったんだなって」と。

  TOSHIの気持ちを尊重し、脱退を受け入れたYOSHIKIさんでしたが、TOSHIさんの歌声以外では、バンドはできないので、解散を決めることになるのでした。   解散ライブを東京ドームで行うことになるのでした。  

「最後にファンの前で、最高のステージを見せよう」と。   アンコールで披露したのは、Forever Loveの曲で、海外進出の挫折、離れていくメンバーの心など、渦巻く感情を、   YOSHIKIさんがメロディーと歌詞に込めたのでした。   ステージで抱き合うYOSHIKIさんとTOSHIさんが印象的です。  

 

解散後の悲劇

 

解散から5か月後に、さらなる悲劇がメンバーを襲うことになるのです。   ギタリストのHIDEさんが33歳の若さでこの世を去ったのです。   YOSHIKIさんは当時を振り返るのでした。  

「本当にどん底に落ちました。すべてが崩れてしまったというか。その壁が石だったとしたら、   その中に僕は埋もれてしまったような、このまま埋もれてしまえばいいやみたいな。   表にもう出たくない気持ちになりました。」と。  

 

思いがけない大舞台

 

表舞台から姿を消したYOSHIKIさん。しかし、音楽家の彼にオファーが無くなることはなかったのです。   解散から2年後に想像しなかった仕事が入ることになるのでした。なんと、天皇陛下の前で演奏するという大役だったのです。  

「演奏した時に観客からの歓声を聞いたときに、やっぱり自分がいる場所は、ステージの上なのかなと。   水が無くては、泳げない魚なのかなという、その場が無ければ僕は生きていけないのではないかという感情になり、   また駆り立てられたというか。」と。  

 

TOSHIとの再会

 

しかし、X JAPANをまたしようとは思わなかったのです。   心の中にX JAPANを閉じ込めることになったのです。しかし、解散から9年後に、YOSHIKIさんのもとへ、予想もしなかった人物から1本の電話があったのです。   それは、TOSHIさんでした。8年ぶりの再会でした。

ロサンゼルスで再開し、昔話に花を咲かせることになりました。   YOSHIKIさんは語るのです。「しかし、そこにいたTOSHIは、まだ違うTOSHIで、   何十年も一緒だったので、目を見ればわかった。僕の知ってるTOSHIじゃなかったのよ、あの時は。   でも、何か一緒にやって行けば知っているTOSHIが戻ってくるんじゃないかと思いました」と。  

再開後に2人でスタジオに入り、HIDEさんへの想いを込めた歌をYOSHIKIさんは   TOSHIさんに歌ってほしかったのです。   その歌声を聞くと、歌っている時のTOSHIさんは昔のTOSHIさんが戻ってきて、何かが変わるかも知れないと可能性をYOSHIKIさんは感じたのでした。  

 

10年ぶりの再結成

 

2008年に、10年ぶりに再結成をすることになったのです。解散した時に使った満員の、東京ドームを使い、3日間の復活ライブを行ったのです。   HIDEを思って作った曲である、「Without You」も披露することになりました。   この曲を天国のHIDEへ捧げたのです。  

再結成を待っていたのは、日本のファンだけでなく、インターネットで広がった世界中のファンも待っていたのです。   そして、復活ライブの翌年に、ワールドツアーがスタートすることになるのでした。  

19か国28公演の世界ツアーで、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、南米と、世界をツアーで回ることになったのです。   YOSHIKIさんは「もう一度頂いたチャンスを頂いたので、命がけでやりたいなと思っています」と語るのでした。

 

関連ツイートの紹介

 

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(まとめ)  

 

一時期、Xに憧れてバンドする人が多かったです。みんな口々にXが好きだと言っていました。小泉元総理がX JAPANが好きだと言っていたのも記憶に懐かしいですね。なかなか、心に響く曲の少ない昨今ですが、X JAPANの曲は、心に響きます。何故でしょうか?

やはり、メンバーが悩み苦しんで、壁を越えてきた心の叫びが曲にこもっているからでしょうか?今後も良い曲を作って頑張ってほしいと願います。 

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