2017/03/15
東日本大震災は歴史に残る大きな地震になりました。
範囲は大規模なものでした。そんな時に、栃木で震災を経験された男性の体験談をご紹介します。
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東日本大震災が起きた瞬間
東日本大震災が起きた時の体験談をご紹介します。2011年当時、私は20代で栃木県の実家に住んでおり、自宅近くの施設で職業訓練を受講していました。
3月11日も通常通り午前中の訓練を終えて正午過ぎに帰宅しました。14時46分に最初の小さな揺れが発生し、この時私は自分の部屋に置いてあるパソコンを手で押さえました。
そして、家が倒壊するのではないかと思うほどの、これまで体験したことのない大きな揺れに見舞われました。パソコンは何とか落下を避けることができましたが、周囲にあったスピーカーは机から落下して故障してしまいました。
後になって思いましたが、東日本大震災の本震の際に何故、パソコンを押さえたのかが自分でも不思議でした。数日前の前震など、これまでの地震で物を押さえたことが一度もなかったからです。
東日本大震災後の状況
余震が断続的に発生する中で母親と2人でテレビを見ていると、しばらくしてCMが公共広告機構の映像になり、自宅周辺は震度6強だったことが分かりました。
次第に津波や火災など、大規模な被害の様子が何度も繰り返し流れるようになり、驚きました。そして、夜になると自宅とその周辺の数軒は照明が点灯していたのですが、辺りは全て真っ暗でした。
父親は激しい渋滞の中、普段の3倍ほどの時間をかけて車を運転し、会社から帰宅しました。
ホームセンターでは石油が売り切れていた
本震発生から数日後、仙台に住む親戚との電話で安否の確認が取れ、全員一応無事ではありましたが、そちらは電気、ガス、水道が止まってしまったため、親戚の要望で石油ストーブを購入するためにホームセンターなどを訪れましたが、既に売り切れており入手できませんでした。
また、私の車は偶然、給油直後だったため問題はありませんでしたが、ガソリンスタンドには給油を待つ車の長蛇の列ができていました。その後、入手できなかった石油ストーブを除く、ガスコンロや調理不要の食品などの物資を宅配便で仙台に送りました。
今後の備えについて
私たちの自宅は原発事故の影響で計画停電があったものの、避難することもなく徐々に元の生活に戻っていきましたが、仙台の親戚の家ではガスの復旧に1か月を要したうえ、駐車場が地震によって一部損壊し、大規模な修復作業が必要となりました。
近い将来、関東や東海周辺を震源とする大規模な地震及びそれに伴う災害の発生が予想されているため、缶詰めなどの食料の他、食品用のラップや携帯用のラジオ、電池などの点検を日頃から行い、万全の状態で災害に備えたいと考えています。
(まとめ)
いかがでしたか?
東北・関東での大きな地震でしたが、日本のどこにいても、同様の地震は起こりうるのだなと実感している人も多いのではないでしょうか。しっかりとした、万が一に備えて、いつも万全の準備をしておくべきです。