2017/03/15
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平凡な日々が一転した日、大地震発生前
当時、私は地質調査業を営む会社で経理兼営業マンとして勤務し、会社の業績も大変ながらも一応飯が食える程度にはあり4月の新年度に向け業績見込みや計画も策定しました。
その準備の一環としてその日は茨城県西地域の各市役所に指名入札申請をするため飛び回っていました。昼休みには古河市の総合公園でこの公園の有名な桃の花の開花状況を確認し、女房に写メールなどを送っていた記憶があります。
突然の出来事
大地震は2012年3月11日午後2時46分に突然起きました。
その時の私は営業車で筑西市役所に程近いところにある交差点で信号待ちをしていました。最初何が起きているのはよくわかりませんでした。電線が異常に揺れ始めました。
歩道を歩いていたお年寄りが横倒しになるのを見た後、ものすごい過去経験のしたことのない大きな縦揺れの地震を感じました。
頭の中が真っ白になり、本当に恐怖でパニックになってしまいました。「なんだ!何が起きているんだ、死にたくない!」など叫び声を上げていました。
信号は一瞬にして止まってしまい、大谷石でできている壁などはほとんど横倒しになり、車の走行が困難なところが散見されました。
もちろん、携帯電話は通じず、市役所前に公衆電話があるのを思い出し、そこで女房や実家の両親、会社などに電話をするも音信不通。おまけに余震というには大きすぎる地震が何回も発生してその度に恐怖を感じました。
とにかく会社に帰ることが第一と帰路どこもかしこも大渋滞のところをなんとかかんとか会社に着くや社長以下、他の社員も皆無事であることを聞き、ひと安心し社長の「とにかく家に帰って家族の安否確認をしろ」の一言で緊急早退となりました。
真っ暗な街
女房や実家の両親などの確認は家に帰る途中確認ができ、みな地震の恐怖を口々に言いあい、そして安心し、その時ダメもとでメールを送ると無事の知らせが女房から入り、本当にうれしくて、涙がでてしまいました。
住まいのアパートがつぶれてしまっていて、ひょっとしたら死んでしまっているのではないかと不安で仕方がありませんでした。
その日は電気や電話は使えず停電状態。幸いにガスは使えるようになり、真っ暗な台所で作ったせいで、半ナマに近い豚キムチを夕食に食べました。
深夜になってアパートの近くに電力会社の変電施設があったせいか電気が通り、本当にひと安心しました。
街の状態を確認しようと女房と二人車を走らせ、愕然としたのは駅の西側全体がまったく電気が通じていないため、「真っ暗」なのです。本当の暗闇とはこういうことを言うのだなと鳥肌が立ちました。
買い物パニック
翌日は土曜日で仕事は休みだったので、(最も平日でも会社は休みになったと思いますが)必要物資を買いに街にでるとみな同じことを考えていて、ホームセンターやコンビニは半ばパニック状態でした。
モノが入荷してもあっという間に売り切れ、すぐに何もない状態になり、お手上げです。それでもガスコンロを買うことができ、実家の両親に持ち帰りました。
実家はオール電化でガスもなく何も使えない状態でした。携帯電話もそうですが、普段便利なシステムほど緊急時には役に立たないものが多いとつくづく思いました。
ガソリンスタンドは早朝から車の行列となり、購入量制限も出て、市内のいたるところで大行列のオンパレードでした。
今の私
当時、勤めていた会社はその大地震以降、業績が大きく変わり、リストラ同然で退社を余儀なくされパート社員として働いています。
人生が変わった日、それは東日本大震災があった平成23年3月11日。東北の人たちは家族の人たちなどたくさんの命がなくなったりして、大変です。今も苦しんでいる人たちが大勢いると思います。
でも栃木県も人生が変わったという意味では、私も含めて大勢の人がいると思います。
もう以前の暮らし向きの再現は難しいと思います。でも、希望を捨てずに生きていくしかない、自分の目指す「生きる道」を目標に歩いて行くしかないと前に目を向け、歯を食いしばりながら生きています。
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(まとめ)
あんなものすごい地震は本当に人生初めて。こんな地震がまた来たらもう生きる意志を持つことはできないと思う。
2015年の9月に大きな水害に実家が遭い、床上浸水で陣大な被害を受けた。災害はいつ何時起きるか分からない。
よくテレビなどでもしも時の事を考えて日頃から準備をしましょうみたいなことを言うけれど、突然に起きる災害はその心の準備もできないままやってきます。
同じ事が2度起きない保証はどこにもありません。2度目は絶望のみ、と私は思っています。余裕のない、今の世の中ではそういう事だと思います。
だから、つまらないことにお金をかけるようなことを行政や政治家は絶対にせず、必要な防災対策は本当に、本当にしっかりやってほしいと強く思っています。