ある男の雑記・日記・気になること

30代男が思うこと感じることや、面白かったテレビ番組のこと、不思議な話や地震の話など。またUFOや宇宙人、UMAやオーパーツなどの興味のあることも掲載しています。

東灘区の阪神高速の近くに住んでいて阪神大震災が起きた時の体験談

time 2016/07/23

東灘区の阪神高速の近くに住んでいて阪神大震災が起きた時の体験談

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1月17日に世界全体が揺れるような恐怖

 

1995年1月17日午前5時46分。まだ暗闇の中で何かも理解出来ない程に、世界全体が揺れていました。「早く出て」と母親の声が、すぐそばで聞こえました。私の目の前で、タンスが止まっていたのは、母親が両手でタンスを支えていてくれていたからでした。

私はすぐに飛び起きて、その隙間から逃げました。そのまま玄関へ行くと、今度は玄関が開かない。そう玄関が歪んで開かなかったのです。奥から出てきた兄が、ようやくドアを開けてくれました。

 

避難所生活でのおにぎりの配給

 

阪神高速の倒壊した付近に住んでいた私たち家族は、勿論その近くの小学校へ避難しました。もう入れない位に人が溢れていました。陣取る場所もなく、車の中で過ごしました。配給が配られると聞いて、あり得ない位に並んでいる列へ並んで、ようやく自分の番が来ました。

何人家族か尋ねられて、4人と答えて頂いたのは、おにぎり二つでした。今考えると、足りないと思いますが、そのときは良かった、食べられると思いました。余談ですが、タバコを吸っていた父は、何処かで、ショートホープが2000円で売っていたと言いながら、タバコを吸っていました。

 

火事の恐怖

 

 車の中で過ごしていると言っても、ガソリンもないし、配給もあるので、小学校のそばで過ごしていましたが、その小学校の側が火事になりました。小学校から更に避難してくださいというアナウンスがありました。

みんな順番に避難していました。安置されていた遺体も順番に避難していきました。もう遺体を安置する場所もなく、夜の国道へ順番に並べられていました。私がいた東灘区という場所は、一番死者が多かった地区でした。行き場のなくなった被災者は、公園で過ごしていました。

 

自宅への帰宅

 

 4月になり、ようやくガスが復旧して自宅へ戻ることができました。途中で、大阪の父親宅や、京都の民宿などで点々とする事もありましたが、ようやく帰ることができました。

4月って、結構な時間が掛かっていると思われるかもしれませんが、実際はそんなところです。半壊か一部損壊か、住民のもめ事になったものの、一部損壊で補修工事をすることになりました。半壊だと建て替えになるので、圧倒的反対の元の修理です。それでも、200万円以上の出費だったそうです。

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(まとめ)

 

いかがでしたか?書きたい事、伝えたい事は、もっとたくさんあります。災害準備や、避難訓練なども大事ですが、それよりも大事なことは、助け合いや近所づきあいかなと思います。

見知らぬ人を助けて回った大学生の方や、「こっちに人がいる」と助けを求めにいく近所の方、配給や出張風呂の情報交換や、人間のギリギリの所で見たコミュニケーションって今思い出しても凄かったと思います。

あの頃よりもずっと便利になった世の中かもしれない。それでも一瞬にして文明の利器が破壊されても残るものも、大切にしていってほしいと思います。

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